膀胱がん日記 EXITENTIALISM

出口あり?なし?

松田優作の生き方

松田優作全集

松田優作全集

世代的に膀胱がんと聞くと松田優作を思い出します。松田優作が膀胱がんの発症を認めた時、リドリー・スコット監督の映画「ブラックレイン」の出演が決まっていた為に俳優業を優先して治療(手術)を拒否。一年後に亡くなった…と記憶しています。実際がどうだったのか調べてみました。

1988年9月 深作欣二監督の「華の乱」撮影時、尿閉に苦しめられ緊急入院して膀胱洗浄治療をする。その時に膀胱がんの「再発」を認める。実はその2年前(1986年)に膀胱がんを発症し腫瘍摘出(TURBT)を受けている。再発を認めた時は既にT4であることが判明*治療方法は、膀胱全摘すること。映画「ブラックレイン」出演を控えていた為に膀胱摘出を拒否し家族へも再発を隠し、制がん剤や止血の治療を受ける。12月ニューヨークと日本を往き来しながら対処療法を続ける。1989年4月止血のための入院。この4ヶ月間で腰骨などへ転移したことが分かる。9月腰の激しい痛みで再入院。妻の美由紀は夫の優作に隠れて病院を訪れ、膀胱がん(しかも末期)であることを告げられる。10月5日「ブラックレイン」特別試写会のパーティへ出席するも背中・腰の激しい痛みで途中退席し、そのまま入院へ。この時、主治医に積極的治療を申し出るが自分がもう治療の施しようもない末期であることを知る。最後まで意識を持っていたいという本人の希望で麻薬系の緩和ケアを受けず過ごすが、10月末、本人が「もう、だめだね…」と言い10月28日痛みを取る治療に切り替える。命日は1989年11月6日。

色々なサイトを読んでまとめてみました。サイトにより書いてあることがバラバラですが概ねこのような経緯のようです。意外だった(自分の知っていた情報と違っていた)のは、ブラックレイン撮影2年前に膀胱がんを発症治療(腫瘍摘出)しており再発であったこと。膀胱がんの治療法は、ここ20年進歩がないと読んだことがあります。最初の治療の後に定期検診を受けていたらT4に進む前に再発に気がついたかもしれません。また「ブラックレイン」撮影後、直ぐに積極的治療をしていたら転移を免れたかもしれません。膀胱がんにおいて「再発」と「転移」は別物です。

 

(2018年10月追記:*T4(他臓器への浸潤有)で膀胱全摘を勧められたということは、ステージ3であった可能性)

参考サイト
http://healthpress.jp/i/2017/10/post-3284_entry.html
https://www.nikkansports.com/entertainment/yusaku/2009/news/past_news-yusaku05.html
https://blogs.yahoo.co.jp/hanshirou/46141139.html

先妻の手記抜粋 http://w11.oroti.net/~aisuru/hatubyou.htm

越境者 松田優作 (新潮文庫)

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